小林 ほのか(3年生)
私は中学校入学1ヵ月後のある日、なんとなく面倒になって学校へ行かなくなりました。何かをする気力がなかったので、一番楽に暇つぶしできるスマホをやっていました。
進路については、当初地元の高校へ行くつもりでしたが、嫌いな担任の先生に「お前、高校行く気あるの?」と言われ、ムカついて勉強をやめました。
どうでもよくなった頃に、黄柳野高校を知り、受験することになりました。入学後、先輩たちがやさしく迎えいれてくれたので緊張がほぐれ、すぐにみんなと打ち解けることができました。規則正しい寮生活なので昼夜逆転がなおり、人間らしい生活ができるようになったと思います。
二年に進級し、休校中に余裕ができたことで、色々考えるようになり、学校に戻るのが怖くなってしまいました。しかし、学校のストレスから逃れることで自分を守ることができたので、学校に行かない期間ができたことを後悔はしていません。その期間はアルバイトを多めにして社会経験をたくさん積むことができました。
寮生活に復帰してからも、その間に見つけた、ストレスへの自分なりの対処法で、上手く向き合っています。
3年生になり、ダンスを始めました。好きなことをたくさんやって楽しい1年にします。
安田 響(2年生)
私は小学校低学年の頃から、授業中教室でずっと座っていることが出来ず、校内を徘徊することがありました。
中学校では、希望して普通教室に行きました。フードを被ると落ち着くので、パーカーを持って行きました。制服があるため、先生によってバラバラな対応をされました。私は混乱し、結局、校長先生とももめて、両親に宣言をして、ほとんど中学校へは行かなくなりました。修学旅行など、本当にその時にしかできない行事のみ参加しました。
進路選択の際、特別支援学校や通信制も検討しましたが、黄柳野の夏のオープンキャンパスに来てみたところ、すごく山の中だけれど、私は特に違和感なく過ごせそうでした。寮で同部屋になる人がどんな人かが不安でした。
入学後は、ほとんど全ての授業に出席できています。寮生活でも、スタッフが起床の確認と検温のため各部屋を回りますが、すぐに返事ができ、起きて廊下に顔を出せる毎日です。
服装は自由で、フードのある服を着ると気持ちが落ち着くのでずっと着ています。学園祭や、ビデオ撮影の際、フードを被ることが出来ないので、少し不安でしたが、しっかりダンスを踊ることが出来ました。ダンスは、せっかく始めた以上、ずっと続けてやっていきたいです。
佐々木 駿(3年生)
僕は、小学校4年生の時に不登校になりました。その後、出席できたのは卒業式だけでした。
中学校も、人間関係のトラブルがあり、また学校に行けなくなってしまいました。中3になり、進路を考える中で黄柳野高校を知りました。夏のオープンキャンパスに来てみると、パンフレットで見たよりも自然豊かで明るい学校だと感じました。僕は黄柳野高校への進学を決意して、秋のオープンキャンパスにも参加しました。入学前にみんなと宿泊する体験が何度もあったため、たくさんの知り合いや友達ができ、入学の際、不安は大きくありませんでした。
入学後は、毎朝早く起きて登校し、授業を受けています。放課後には部活にも取り組んでいます。まさか自分が普通に高校に通えるようになるとは思いませんでした。今の生活はとても楽しいです。
ボランティア活動では、まだゴミ拾いや草取りなどに参加しただけですが、人の役に立てている感じがして、やりがいがあります。
これからの生活の目標としては、将来、自分がやりたい職業に就けるように、勉強をしっかりやり、体力もつけたいです。卒業する時に「黄柳野高校で3年間過ごせて良かった」と思えるように精一杯学校生活を送ろうと思います。
飛鳥田 怜雄(2年生)
私は小学校高学年の頃、宿題は期限後に放課後教室に残って取り組むようになりました。
中学生になり、最初は宿題もこなせていましたが、だんだん、つらくなっていきました。放課後、宿題をやるように自習室に残され、午後6時、7時までかかってやるようになりました。1年の夏休み明け、朝の遅刻回数が増えて、これ以上だと生活指導になると思ったら、恐くて学校へ行けなくなりました。その後は、定期テストと修学旅行だけ出席しました。
母が黄柳野高校を探してきて中2の時からオープンキャンパスに来てみました。実際に体験してみると、宿泊体験は楽しく、自然豊かな環境は自分にとってちょうど良いと感じられました。他の全寮制高校も行ってみましたが、ここなら勉強をやり直せると思い、家族で話し合って黄柳野に決めました。
入学して良かったと思うことは比較的気楽に過ごせているかなあというところです。2年生に顔見知りがいて、先輩が怖いという心配もなく、同級生とも良い距離で過ごせていると思います。
寮生活としては、掃除、洗濯とも、ため込み過ぎずにこなせていて、一応出来ていると思います。今は黄柳野高校に入って本当に良かったと思います。
長井 美貴(卒業生)
私は小学校高学年の頃、いじめられている子を助けたら、自分が対象にされました。友達の女の子にもいじめられ、あまりのショックで、その頃の記憶は真っ白です。
中学校でも状況は変わらず、春の体育祭後に不登校になりました。大きな行事以外は家で引きこもっていました。
進路を考えた時、昼夜逆転を直して自立するため、私は寮生活を希望し、両親が黄柳野を薦めてくれました。自分でも調べ、ここなら行けそうと思いました。説明会でスタッフと話し、冬のオープンキャンパスに参加して、色んな体験ができると思い、志望校に決めました。
入学して、基本的には毎日授業に出席できています。先輩や同級生、スタッフとも人間関係を一から作ることになり、いじめを受けていた時の辛い気持ちは全くありません。
寮生活は、色々ありながらも、みんなと一緒に過ごせて、自分でも少し精神的に成長できたと思います。2年生になり、寮長を引き受け、ミーティングの司会、行事の運営など、頑張って取り組んでいます。
農業を始め、体験型の授業が私には合っていて、毎日楽しいです。学外への災害ボランティアにも参加し、良い経験ができました。これからは、いろんな人と関り、生活をもっと楽しみたいです。
石井 順子(卒業生保護者)
息子が不登校になったのは中学1年生。私は、この先どうしたら良いのか暗いトンネルの中にいるような気持ちで葛藤し、もがいていました。
3年生、高校受験を考える時期になり、通信制や寮のある学校の資料を取り寄せ、黄柳野高校のオープンキャンパスにも親子で参加しました。そこでは、同じ体験生の保護者の方々のお話を聞いて、私は、我が子だけではない、悩んでいるのは私だけではないと感じました。また、その時、この学校なら何かが変わるのではないかと、光が見えたように思いました。息子から黄柳野高校に入学したいという言葉を聞いて、とても嬉しかったことを覚えています。
この3年間大変なこともありましたが、帰省するたびに成長が感じられました。学校生活で様々な方と関わり、色々な経験をすることができたのだと思います。
自宅から学校までの送迎は長時間の運転なため、私にとってかなりの負担でしたが、親子の大切な会話の時間になりました。また、私自身も学校行事に積極的に参加し、スタッフや保護者、保護者OBと関わり沢山のことを学ぶことができました。黄柳野高校で過ごした3年間は、親子共に成長させてもらい、学ばせていただいた貴重な3年間でした。
大槻 宗馬(卒業生)
私は、保育園の頃からこだわりの強い「ちょっと変わった子」でした。
中学校では、学年の大多数からいじめられ、9月まで毎日通いましたが、学校の対応も納得いかず、ついに不登校となりました。それでも、地元の高校に進学し、当初は、世界大会優勝経験もあるロボット部で楽しく、毎日19時頃に疲れて帰宅する生活を送っていました。しかし、中学時代のいじめのトラウマから精神的につらくなって7月には再び不登校になりました。
カウンセラーの勧めもあり、秋の1泊のオープンキャンパスに参加したものの、「学校」の単語がトラウマで音を上げ、2日目の朝にリタイヤしました。後日、再度学校見学をしようと言う両親に仕方なくついて来たところ、対応してくれたスタッフの印象が前回の記憶を塗り替える程に良く、「今転入すれば3年間で卒業出来る」と言われたことで、私は転入を決意しました。
2年生への進級が決まったときは安堵で一杯でした。部活は探検部で仲間達と頑張っています。私は生徒会役員として出来る最大限の改善に取り組んでいこうと考えています。
自分の目標としては、自衛官になる為に、まずは採用試験に向けて勉強と鍛錬を積んで行く事が目標です。
松久 直道(卒業生)
私は特別養護老人ホームで働いている。入居者様は「一期一会」、感謝される仕事だと強く思う。
中学時代「自信」が全くなく、わからない授業の後、部活の毎日だった。唯一楽しみのサッカー部も顧問が居なくなって、チームがまとまりを欠き、楽しくなくなった。3年生になり、私は「こんな成績じゃ、行ける高校は無いな」と諦めていた。その時、父が黄柳野を勧めてくれた。
入学して、自分自身が変われた3年間だった。直ぐに友達が出来た。授業は聞きやすい環境があり、「つまらない」から「楽しい」に変わった。困っていると直ぐに先生が聞いてくれて、わからない所がわかった。
自分が学んだのは、「チャレンジをすること」である。卒業後北海道農業専門学校へ進学した。諦めずへこたれず、農業を学んだ。農業をする上で大事なことは経済と知り、卒業後、日本福祉大学経済学部経済学科3年に編入した。そこでゼミの先生に福祉を学び、興味が出た私は、卒業後日本福祉大学中央福祉専門学校へ入学し、介護や福祉を学んだ。
そして今10年以上、介護福祉士として務めている。黄柳野での全てが今に生きている。地に足をつけて、立てている。私は本当に黄柳野高校に入学して良かったし、感謝している。