卒業生から






















私は小学校高学年の頃、宿題は期限後に放課後教室に残って取り組むようになりました。
中学生になり、最初は宿題もこなせていましたが、だんだん、つらくなっていきました。 放課後、宿題をやるように自習室に残され、午後6時、7時までかかってやるようになりました。 1年の夏休み明け、朝の遅刻回数が増えて、これ以上だと生活指導になると思ったら、恐くて学校へ行けなくなりました。 その後は、定期テストと修学旅行だけ出席しました。
母が黄柳野高校を探してきて中2の時からオープンキャンパスに来てみました。 実際に体験してみると、宿泊体験は楽しく、自然豊かな環境は自分にとってちょうど良いと感じられました。 他の全寮制高校も行ってみましたが、ここなら勉強をやり直せると思い、家族で話し合って黄柳野に決めました。
入学して良かったと思うことは比較的気楽に過ごせているかなあというところです。 2年生に顔見知りがいて、先輩が怖いという心配もなく、同級生とも良い距離で過ごせていると思います。
寮生活としては、掃除、洗濯とも、ため込み過ぎずにこなせていて、一応出来ていると思います。 今は黄柳野高校に入って本当に良かったと思います。


中学生の頃は、毎日の勉強に追われる日々が続きました。学校に行くのが苦痛になり、家でもうまくいかずに悩んでいました。
しかし、高校進学を決める際に、黄柳野高校のオープンキャンパスに参加し、そこで感じた自然の中で過ごせる環境に魅力を感じました。 入学後は、勉強がつらかった時期があったものの、先生たちのサポートや仲間たちとの関わりが励みとなり、少しずつ自信を取り戻すことができました。
寮生活は最初は大変だと思ったこともありますが、仲間と一緒に支え合って生活できることが何より心強かったです。


私が黄柳野高校を選んだ理由は、個別対応の学習スタイルが自分に合っていると感じたからです。 他の高校ではなかなか自分のペースで進めることが難しかったですが、ここでは一人一人にあったサポートがありました。
寮生活では食事作りから掃除、洗濯などを自分でやらなければならず最初は驚きましたが、すぐに慣れました。 そして、何より自分のペースで学びながら生活できるのは大きな収穫でした。
卒業後の進路についても、しっかりとサポートしてくれる先生方がいて、今では自分の進む道に自信を持っています。


高校生活はとても充実していました。特に黄柳野高校では、学業に関するサポートが手厚く、成績も順調に上がりました。
寮生活は最初は不安だったけれど、みんなと協力して生活することで成長できました。最も大きな成果は、生活全般を自分で管理できるようになったことです。
卒業後も黄柳野で学んだことが大いに役立っていますし、今後もこの経験を活かしていきたいと思っています。


私は小学校高学年の頃、いじめられている子を助けたら、自分が対象にされました。 友達の女の子にもいじめられ、あまりのショックで、その頃の記憶は真っ白です。
中学校でも状況は変わらず、春の体育祭後に不登校になりました。 大きな行事以外は家で引きこもっていました。
進路を考えた時、昼夜逆転を直して自立するため、私は寮生活を希望し、両親が黄柳野を薦めてくれました。 自分でも調べ、ここなら行けそうと思いました。 説明会でスタッフと話し、冬のオープンキャンパスに参加して、色んな体験ができると思い、志望校に決めました。
入学して、基本的には毎日授業に出席できています。 先輩や同級生、スタッフとも人間関係を一から作ることになり、いじめを受けていた時の辛い気持ちは全くありません。
寮生活は、色々ありながらも、みんなと一緒に過ごせて、自分でも少し精神的に成長できたと思います。 2年生になり、寮長を引き受け、ミーティングの司会、行事の運営など、頑張って取り組んでいます。
農業を始め、体験型の授業が私には合っていて、毎日楽しいです。 学外への災害ボランティアにも参加し、良い経験ができました。 これからは、いろんな人と関り、生活をもっと楽しみたいです。


私は、保育園の頃からこだわりの強い「ちょっと変わった子」でした。
中学校では、学年の大多数からいじめられ、9月まで毎日通いましたが、学校の対応も納得いかず、ついに不登校となりました。
それでも、地元の高校に進学し、当初は、世界大会優勝経験もあるロボット部で楽しく、毎日19時頃に疲れて帰宅する生活を送っていました。
しかし、中学時代のいじめのトラウマから精神的につらくなって7月には再び不登校になりました。
カウンセラーの勧めもあり、秋の1泊のオープンキャンパスに参加したものの、「学校」の単語がトラウマで音を上げ、2日目の朝にリタイヤしました。
後日、再度学校見学をしようと言う両親に仕方なくついて来たところ、対応してくれたスタッフの印象が前回の記憶を塗り替える程に良く、「今転入すれば3年間で卒業出来る」と言われたことで、私は転入を決意しました。
2年生への進級が決まったときは安堵で一杯でした。
部活は探検部で仲間達と頑張っています。
私は生徒会役員として出来る最大限の改善に取り組んでいこうと考えています。
自分の目標としては、自衛官になる為に、まずは採用試験に向けて勉強と鍛錬を積んで行く事が目標です。


息子が不登校になったのは中学1年生。 私は、この先どうしたら良いのか暗いトンネルの中にいるような気持ちで葛藤し、もがいていました。
3年生、高校受験を考える時期になり、通信制や寮のある学校の資料を取り寄せ、黄柳野高校のオープンキャンパスにも親子で参加しました。 そこでは、同じ体験生の保護者の方々のお話を聞いて、私は、我が子だけではない、悩んでいるのは私だけではないと感じました。 また、その時、この学校なら何かが変わるのではないかと、光が見えたように思いました。 息子から黄柳野高校に入学したいという言葉を聞いて、とても嬉しかったことを覚えています。
この3年間大変なこともありましたが、帰省するたびに成長が感じられました。 学校生活で様々な方と関わり、色々な経験をすることができたのだと思います。
自宅から学校までの送迎は長時間の運転なため、私にとってかなりの負担でしたが、親子の大切な会話の時間になりました。 また、私自身も学校行事に積極的に参加し、スタッフや保護者、保護者OBと関わり沢山のことを学ぶことができました。 黄柳野高校で過ごした3年間は、親子共に成長させてもらい、学ばせていただいた貴重な3年間でした。


私は特別養護老人ホームで働いている。 入居者様は「一期一会」、感謝される仕事だと強く思う。
中学時代「自信」が全くなく、わからない授業の後、部活の毎日だった。 唯一楽しみのサッカー部も顧問が居なくなって、チームがまとまりを欠き、楽しくなくなった。 3年生になり、私は「こんな成績じゃ、行ける高校は無いな」と諦めていた。その時、父が黄柳野を勧めてくれた。
入学して、自分自身が変われた3年間だった。直ぐに友達が出来た。 授業は聞きやすい環境があり、「つまらない」から「楽しい」に変わった。 困っていると直ぐに先生が聞いてくれて、わからない所がわかった。 自分が学んだのは、「チャレンジをすること」である。
卒業後北海道農業専門学校へ進学した。 諦めずへこたれず、農業を学んだ。 農業をする上で大事なことは経済と知り、卒業後、日本福祉大学経済学部経済学科3年に編入した。 そこでゼミの先生に福祉を学び、興味が出た私は、卒業後日本福祉大学中央福祉専門学校へ入学し、介護や福祉を学んだ。
そして今10年以上、介護福祉士として務めている。 黄柳野での全てが今に生きている。 地に足をつけて、立てている。私は本当に黄柳野高校に入学して良かったし、感謝している。